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4月になりあちこちでいかにも新入社員って感じの人を見かけます。その人たちの一生懸命な姿を見て、自らを振り返ると、初心を忘れけっこう基本を疎かにしているなあと反省しました。そんな時に得意先のある方から次のような話を聞きました。 学校では、当人が特別に望まなくとも教師が教えてくれますが、仕事をする上ではそういうわけにはいかない。自分自らが積極的に目的を持って書物を読むなり、勉強しなければ誰も教えてくれない。 もちろん、学校ではないのだから、勉強などしなくても誰からも文句を言われたりはしません。だから、自分で計画を立て、勉強するという厳しい姿勢を自らに要求しなければならない・・・という話でした。 つまり、教えてもらうという姿勢で接していてはなかなか身につかないという事です。仕事においても部署名や機械の操作方法などはともかく、その一歩先の、ノウハウ的な部分を身につけるには、単に教わるとは違った心がけが必要なようです。 それはどんな心がけか、「研修」を例にとって考えて見ましょう。自分自身、入社以来何度か研修をに出かけ受ける機会がありました。そんなとき、漠然と出かけてしまうと、何も得ずに帰ってきてしまうんです。「いやあおもしろかった」「あんなことができるとは」といった感動はできても、身にはつきませんでした。 小中学生時代、社会見学の前に訪問先の予習をしたことを覚えていませんか。少なくともあのくらいの予習はすべきだし、社会人である以上は、さらに一歩、予備知識を持った上で研修を受けるなり教わるなりしないと入ってくる知識が上滑りすることを実感しました。 乾いたスポンジのように吸収するという表現がありますが、確かにそれはよいことなのだけど、一方でスポンジの裏には研磨面を持っていて、吸収したもののうちどれが自分たちの対象をより光らせるかを判断していないと、よれよれでぐしょぐしょの単なる濡れスポンジになってしまいます。 この時期にこんなことを書くなんて、なんだか年とっちゃったかなあ、という気がします。説教癖はいけませんね。今回のコラムも、そのまま吸収するなんてことは、ゆめゆめなきよう、ご注意ください。
小島洋紙 福山支店 営業部
箱田一貴 |