「コラム」


 先日ソチオリンピックが開催されました。結果はみなさんご存知のように金1・銀4・銅3・合計8個で、長野オリンピックに次ぐ歴代2位の成績を収めることとなり、日本中が大きな盛り上がりました。深夜から未明にかけてクライマックスが多く、ライブで見ることは難しかったのですが、日本代表の結果に私自身も今までになく興奮しました。

 さて、今回のメダリストたちは素晴らしい選手ばかりでした。フィギュアスケート日本男子初の金メダルをもたらした羽生結弦、最年少メダリストとなったスノーボードハーフパイプの平野歩夢、片や最年長メダリストとなったスキージャンプラージヒルの葛西紀明など、皆素晴らしい結果を残してくれました。その中で今回私が注目したのが、女子パラレル大回転の竹内智香選手でした。

 竹内選手は31歳、今回で4度目のオリンピック出場となりました。それまでのオリンピックの成績はトリノオリンピックの9位が最高でした。彼女がスノーボードを始めたのは長野オリンピック後の1999年。当時の日本ではスノーボード人口自体少なく、マイナー競技でした。2006年のトリノオリンピックでも環境は変わらず、彼女は状況を変えるためにヨーロッパへと活躍の舞台を移します。その際も何度も断られるも、あきらめず打診を続けることで、スイスのナショナルチームへの所属を勝ち取ります。そしてその後彼女はあることを始めます。当時のスノーボード選手はボードを契約しているメーカーから調達するか、自分に合ったものを購入するかしていました。しかし彼女は自分でスノーボードの開発・製作から携わることにします。これだけの準備を整えて臨んだ2010年バンクーバーオリンピックでしたが、結果は13位となってしまいます。しかし彼女はあきらめず、今度は「オリンピックで本当に勝ちたいなら、応援してくれる周りの人たちに協力してもらうことが大切だ。日本に帰って、日本の智香のチームをつくれ。」という当時のコーチからの言葉に背中を押され活躍の場を日本に移します。また、スノーボードの製作も帰国してから変わらず自分の手で行ってきました。その後の彼女は、ワールドカップなどで結果を残し、先日のソチの銀メダルへとつなげることとなります。

12年4回のオリンピックは私たちの想像をはるかに超える苦難とプレッシャーだったことでしょう。壁にぶつかるたびに彼女は変化を求めました。それは海外への単身修行であったり、道具の製作であったり、はたまた帰国であったりしました。人に命令されたからでなく、自分で考えての変化が彼女のメダル獲得に大きく貢献したことだと思います。  私たちも仕事や生活の中で何かにぶつかることがあると思います。そんな時には「めんどくさいからこのままでいいや」ではなく、大きくなるために変化を求めてみることも必要なのではないでしょうか。




アオイ福原(株)
広島本店 石田知也


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