「旭酒造」


 先日、お客さんの新年会に参加させていただき、その時の講演会の話を紹介します。

 講師の方は、旭酒造株式会社の桜井社長で、純米大吟醸酒「獺祭」を手掛けた方です。獺祭は、大人気の為に入手困難な日本酒であり、昨年オバマ大統領が来日の際に安倍首相が大統領にプレゼントした事で更に知名度が上がり、直売の酒屋でも入手までに1〜2ヶ月要するようになっています。

 今でこそ、全国の日本酒愛飲家から注目されるような旭酒造ですが、桜井社長が先代の社長である父親が急逝し社長を継いだ時は、旭酒造の年商前年比85%減という廃業寸前だったとの事です。そこからの立て直しを試行錯誤していく中で、数々のピンチを乗り越え、チャンスに変えたからこそ今がある、と言う体験談です。

 立て直しを考えるにあたって、酒蔵がある地域は岩国市周東町獺越(おそごえ)と言う山奥の過疎地で、地元での販売は限界が見えている。しかし、岩国市へ販路を求めようにも、山口県を代表する酒蔵が控えていて、太刀打ちできそうにないと考えた結果、思い切って東京へ進出しようと覚悟を決めたとの事。

 東京市場で売るためには普通の日本酒では勝負にならないと考え、それならば山田錦を使用した純米大吟醸酒(玄米を50%以上削った白米を原料に使用)を造ろうとしました。それまで200年以上の伝統を持つ酒蔵で初めて手掛けるために、取り掛かって6年で純米大吟醸「獺祭」を発売する事ができた。さらに2年後に玄米の表面を77%削り、23%だけを使用する「獺祭磨き二割三分」を売り出した。77%削るためには丸4日を要するために、簡単ではなかったが消費者、酒造関係者に大きなインパクトを与えることができたとの事。

 売上が順調に伸びていた1999年には、冬しか仕事がなかった酒蔵にとって、夏場の仕事が必要と考え、ブームだった地ビール事業に参入した。役所へ地ビール生産の免許取得申請をした際に、地ビールレストランの経営という条件付きで認可され、錦帯橋の近くに3月にレストランをオープンした。しかし、売上不振から3ヵ月後の5月末に閉店し、当時の年商以上の負債をかかえてしまった。経営悪化の噂も広がり、永年務めていた杜氏(酒造りの製造責任者)が辞めてしまった。

 通常酒造りは杜氏がいないと成立しないので、いよいよ廃業が頭によぎったが、思い切って杜氏無しの通年勤務社員のみの酒造りをする、と決断した。同時に年中酒造りが出来るように設備を整え、全国でも珍しい四季醸造体制を始めた。この事が、結果的にお客さんの声をダイレクトに酒造りに生かされるようになり、品質上の問題点にも即対応できる体制が整った。

 今は需要に対する供給不足であり、入手困難な状況が続いているが、増産体制を整えて、プレミアム感を無くし、より多くの方に楽しんで飲んでいただくようにします、との事でした。




アオイ福原(株)
福山支店 井上 宜幸


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